はじめに
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記念すべき初回の記事で題材にするのは、どんなテーマにしようかなといろいろ考えたんですが、ここはやはりみんな大好きジェレミー・ベンサムがもっともよろしいだろうと思いまして、題材は功利主義です。だって、功利主義、そしてベンサムに興味が無い人なんかいませんよね。彼が人生を賭けて追及したのが「最大多数の最大幸福」ですよ。壮大です。人数にして最大、その最大の人数に対して最大の幸福をもたらすにはどうしたらいいのか、1789年に彼は功利主義(あとで説明します)のバイブルとも言える「道徳および立法の諸原理序説」を発表するわけですが、ワシントンがアメリカ初代大統領に就任したり、フランス革命が勃発した年に、日本では寛政の改革の真っ最中に、そんなこと考えてたんですね。
そんなベンサムが始祖と言われる功利主義、それを使ってコーヒーの美味しさを考えてみようというのがこの一連の記事となります。
功利主義は政治学だったり哲学だったり社会学だったり、いろんなところで出てくる考え方ですが、もちろん経済学でもしっかり学びます。功利主義をベースにしていろんな経済学の考え方(厚生経済学とか)が出てきますし、いまも功利主義そのものを研究している経済の専門家もたくさんいらっしゃいます。
この一連の記事で勉強できること
この一連の記事は、2つのパートに分かれています。
- (前編)ベンサムについて、功利主義について
- (後編)功利主義的なコーヒーの美味しさ
前編では、ベンサムと功利主義についてまとめます。ベンサムは大変偉大な人なので、彼について何か書こうとすると本が何冊も量産されてしまうので、簡潔にまとめようと思います。そしてその中で、功利主義についても触れるのですが、功利主義はあるとき急に宇宙から降ってきたわけではないので、功利主義が生まれた背景やベンサム以外の立役者もあわせて紹介していきます。
後編では、功利主義の考え方を利用して、コーヒーの美味しさについて考えてみます。功利主義はベンサム以後、たくさんの人がそれについて考えて、発展している考え方なので、今回はベーシックなアイデアである、快楽と苦痛の計算、というところをポイントに考えていきます。
では、前編を始めてみましょう。
ベンサムという人
ベンサムはどんな人なんでしょうか。手元の「岩波小辞典経済学」のベンサムの項目を引用します。
1748-1832 イギリス功利主義の代表的思想家。法律家として出発した彼は、道徳および立法の基準を快楽と苦痛の量的計算に求める功利主義の立場から〈最大多数の最大幸福〉をモットーとして、イギリスの伝統的コモン・ロー体系を支える保守的自然法理論を徹敵的に批判すると共に、種々の法律制度改革案を提出した。(中略)経済学の分野では政策論に重点がおかれ、スミスの法定利子率論の不徹底を批判して利子率法定そのものに反対し、自由主義を徹底させた。(後略)
余談ですが岩波小辞典経済学は大変コンパクトで網羅的な用語集なので、一冊手元にあると大変便利です。
ベンサムは現在(2021年現在の話ですよ)、ロンドン大学内のイスに座っています。1748年生まれですからとうにお亡くなりになっているわけですが、自分を標本にして保存してくれって頼んだそうなんです。それでロンドン大学医学部の方たちで保存処理をし、その後ずーっと大学内に座っているんだそうです。そして大学の会議があるとそのベンサム(の標本)を運んで、会議に参加させたりして、でももちろん手を挙げたり発言したりはしないので「出席はするが投票はしない」ということになってるそうですよ。なんていうか茶目っ気がありますね。
もひとつ余談ですが、この記事ではベンサムと表記していますが、人によってはベンタムと書くこともあります。実際に大学で、先生により呼び名が違うときがあり「先生、質問ですがベン・・・(あ、この先生はベンタム派だ)タムについてですが」などとちょっと困ることがあります。統一してもらえませんでしょうか・・・
功利主義
さてベンサムの説明の中で引っかかるのは、「功利主義」の彼の唱えた「最大多数の最大幸福」、というところでしょうか。
同じく、「岩波小辞典経済学」から功利主義の項目を引いてみましょう。
個人の幸福・利益・効用を行為の目的あるいは価値と考える思想。18世紀後半から19世紀にかけ、イギリスでもっとも盛んになった倫理・政治思想である。(中略)快楽を求め苦痛を嫌うのが人間の本性であるということを事実としてベンサムは認めるだけでなく、道徳的にも積極的に肯定して言う。”およそいかなる行為についても、その行為が利害当事者の幸福を増大させるか減少させるか、つまり幸福を促進するか阻害するかにしたがって、その行為を肯定し、あるいは否定するところの原理”、それが〈功利性の原理〉である。(後略)
功利主義は、ベンサムが創始し、J.S.ミル(父であるJ.ミルがベンサムと深い親交があった)が発展させたと言われています。
ベンサムは経済学者ではなく、功利主義も政治に対する提言のための理論として形成されたようです。ベンサムよりちょうど半世紀前に生まれた、古典派経済学の祖と言われるアダム・スミスにしても当時は経済学者ということではなく、やはり哲学者として見られていたようです。これは、経済学という学問がまだはっきりと成立しておらず、経済に関することは政治に付随して、あるいは哲学的に考えられていたからです。
なおベンサムが功利主義を唱えた著作「道徳および立法の諸原理序説」は1789年に刊行されましたが、スミスのあの有名な著作「諸国民の富の本質と原因に関する研究」(これはしばしば「国富論」と略されます)が刊行されたのは1776年と、13年の違いしかありません。このへんが、経済学黎明期なのかもと思うのですが、まだまだ彼らは経済の理論を作ったという感覚は無かったでしょう。これらふたつの著作は、政治への提言(のための理論)という意味合いが強いです。
功利主義についてもう少し具体的に考えてみましょう。
ベンタムは、個人の組織や行為によって人々に引き起こされる「快」や「苦」を「強さ」「持続性」「確実性」「遠近性」「多産性」「純粋性」「それが及ぶ範囲」という七つの尺度で測り、ひとりひとりの快と苦の量を全員分足し合わせ、行為の影響を受ける「関係者」全員の快の総計から苦の総計を差し引く「効用計算(公益計算)」を想定した(『道徳および立法の諸原理序説』第4章)。その計算結果がプラスになる(関係者全員の快の総量が苦の総量を上回る)ならばその行為は「よい」行為であり、計算結果がマイナスになる(関係者全員の苦の総量が快の総量を上回る)ならばその行為は「わるい」行為ということになる。
https://www.u-tokyo.ac.jp/biblioplaza/ja/F_00106.html 大阪市立大学
ベンタムはつまり、なにか行為があったときにその前と後の関係者全員の状態を一定の尺度で比較して、ひとりひとりのあらゆる「良かった」感じと「悪かった」感じをぜんぶ足したら、その行為が社会全体に対して「良かった」のか「悪かった」のかわかるんじゃないか、と言ってます。
例えば、なんだか熱が出て病院に行くことは、本人にとっては治療されるという「良かった」もあれば、行くことがしんどいので無理して行く「悪かった」もあり、お医者さんから見れば患者さんを診察し治療できた「良かった」があり、来院時にコロナかも、そうでなくてもインフルエンザかも、という対応をしなければいけない「悪かった」もあるでしょう。タクシーで行ったとすれば運転手さんにしてみればお客さんを拾えた「良かった」と、ごほごほして体調悪そうな人乗せちゃったなあコワイなあという「悪かった」があったでしょう。もっと細かく見れば、その行為が本人やお医者さんや運転手さんに与える影響は、非常にたくさんあるはずで、そして関係者はこの三人のみならず、もっとたくさんの人に波及するはずです。つまり、どんなささいなことでも最低限でも本人を含み関係者が存在し、もしかしたらその関係者は膨大な数にのぼるかも知れなくて、そしてそのひとたちにはたくさんの「良かった」ことと「悪かった」ことが大小あるというわけです。
それをぜんぶ調べて計算するということはもちろん無理難題で、ベンサムもそれができるとは思っていなかったでしょう。でも、基本的な考え方は、この計算結果が「よい」ものであればやるべきだし「わるい」ものであればやらないほうがいい、ということを言っています。
これを政策に適用すれば、その政策は国民全員のあらゆる「よい」「わるい」を足し合わせてプラスになればやったほうがいい、そうでないならやらないほうがいい、という提言になるわけです。経済政策であれば、経済的には長期的には豊かになるのであれば「よい」ということになるでしょう(そしてこのへんが功利主義が理論として経済学でも発展していく理由となるわけです)。
では、後編でコーヒーと美味しいについて、功利主義的な展開をしていきます。
タイトル画像はWikipediaより
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