最後通牒ゲームは、ゲーム理論の中で主要な研究分野である
ゲーム理論はさまざまな研究がなされ、現代のミクロ経済学では中心的な存在のひとつです。その中でまた中心的な研究のひとつに、最後通牒ゲームがあります。
ゲーム理論とは・・・とちゃんと話すと大変長くなるので、かいつまんでゲーム理論についてご説明します。例によって、岩波小辞典経済学より。
数学者ノイマンがモルゲンシュテルンの協力を仰いで完成させた戦略的相互依存関係を分析する経済理論。複数の利己的な意思決定主体の利得がそれぞれの戦略の相互依存関係によって定まるというゲーム的状況を分析するための数理的手法のこと。
とありますが、これでわかるでしょうか、いやわかりませんよね。
つまり、利益に対して別々の目論見を持ついく人かが登場人物で、その人たちが相互に干渉し合いながら何か経済的な行動を共にしようとすると、結局はそれぞれがそれぞれに影響を及ぼしあって行動してしまうよ、というようなことです。例を出せば、マージャンなんかやるときに、自分の手だけ見て役を作るわけじゃなく、他の三人の捨てた牌や顔色なんかも見て、自分の手を作りますよね。そんなあなたも他の三人からは観察されているわけで、相互に影響を与えつつ、ゲームは進行していくわけですね。
そういう、決められた条件の中での意思決定を数理的に考えたよ、というのがノイマンとモルゲンシュテルンの主張でした。なおノイマンはご存じ現代のコンピューターの仕組みを考えた人で有名でして、そのほかにも天才すぎて科学と名のつくあちこちの分野で様々な業績(それも大変すごい業績だそうです)を残しています。理系の人に言わせると、天才の中の天才、という感じだそうです。
最後通牒ゲームとは

2017年にノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーの一般向け啓蒙書「セイラー教授の行動経済学入門」では最終提案ゲームと記述されていますが、どちらも使われるようです。どちらかというと最後通牒ゲームというほうがメジャーなようなので(大学でもこちらが使われていたので)、本ウェブサイトでは最後通牒のほうを採用します。
では最後通牒ゲームについて説明します。
最も基本激な最後通牒ゲームはこのようなものです。
登場人物は「配分者」と「受け手」の二名。
ゲームが開始されると、配分者にはn円が渡される。配分者は自分と受け手でそれぞれいくらずつ分けるかを提示する。受け手へ提示された提示額x円が受け入れられた場合、配分者には(n-x)円、受け手にはx円がもらうことができる。受け手が提案を拒否した場合には、両者とも1円も貰えない。
「さて、配分者は受け手に対して何円で提案すればいいだろうか。また受け手は何円なら受け入れればいいだろうか?」
というものです。
このゲームを使った最初の実験はドイツのギュート、シュミットベルガー、シュバルツェの三人により実施されました。おおかたの経済学者は、あるいは経済学部の学生ならば、きっとこう答えるに違いありません。
「配分者は1円を提示するべきだ、なぜなら受け手は断ればゼロ円だが受け入れれば少なくとも1円貰えるのだから、断る理由が無い」
経済学で言うところの「ホモエコノミカス(経済人)」であれば、常に経済的合理性に基づいて行動するからです。もちろん誰だって(ホモエコノミカスでなくとも)「ゼロ円と1円、貰えるならどっちがいい?」と聞かれれば、1円と答えるでしょう。ところが、実際に実験を繰り返した結果、ほとんどの場合、最低の提案額は拒否されるのです。実験の中では、同額ずつを文字通り山分けする提案をするものも多く見られました。受け手への提示額の平均は元金の25%ほどです。
最後通牒ゲームからわかったこと
実験はさまざまな形で発展的に行われ、そこでわかってきたのは、「ぼったくり屋だとは思われたくない」という心情が受け手への提示額を増額するのではないか、ということです。役割を交換して繰り返し試行すると提示額が増えるからです。また「強欲にはしっぺ返し」という心情も推測できます。低額を提示して拒否された者は受け手に回ったときには、配分者からの提示額が下がり、受け手へ高額を提示した者が受け手に回ると高額の提示が増えるからです。
繰り返しの実験の場合、受け手への提示額は高くなります。これは、しっぺ返しを恐れること以上に、知己には多くを与えたいという心情が加味されていると言っていいでしょう。
セイラーは「人はほぼ間違いなく、お金は少ないより多くを望み、他人に対しては公平な扱いをしたいと思っているのだ。そしてこれらの目的は二律背反(トレードオフ)である」と言います。自分の取り分をできるだけ多くしたいと思いつつ、相手にできるだけ多く渡したいとも思っているのです。
消費者は「濡れ手に粟で儲ける商売」が気に食わない
「セイラー教授の行動経済学入門」ではこのようなエピソードが紹介されています。
あなたはビーチでパラソルの下で寝そべっている。こんな時にいつものあの銘柄のビールがあればなあと思っている。その時友人が「電話をかけてくるが、何かついでに用事があるか?」と聞いてきた。あなたはこう答える。「じゃあXXXであの銘柄の缶ビールを一本買ってきてくれるか?」すると友人がいくらなら買ってきていいか聞き返してきた。あなたが言った額より高ければ「ボッタクリだ」と買ってこないつもりらしい。そこのYYYとは値段の交渉はできない。あなたは缶ビール一本に上限はいくらだと言うべきだろうか。
この伏字になっているふたつには、それぞれ「しょぼくれた食料品店・店番」と「ホテルの中のバー・バーテンダー」のパターンがあるのですが、どちらのセットで聞くかで上限価格は違ってきます。品物は缶ビールなので、中身はまったく同じものなのに、どこで誰から買うかという違いが支払ってもいい値段を左右するのです(当然、しょぼくれた食料品店・店番のセットのほうが、上限額が低くなります)。これも最後通牒ゲームの一種で、「あなた」と呼ばれる人が受け手の役になっています。さてここからわかることは、受け手が消費者である場合、相手、つまり配分者が濡れ手に粟とばかりに儲けの大半を手にしてしまうのはどうやら気に食わないということです。
「リピします」の心理
では、消費者が「リピする」、つまり常連客になっても良いと思うのはどのようなときでしょうか。
最後通牒ゲームの数々の実験によれば人は、自分の利得は多いほうが良い、しかし相手に「強欲だ」と思われるのは嫌だ、そして相手を軽く扱うのも好まない、ただし欲張りにはしっぺ返しをして良いと考えている、といった行動が目立ちます。
配分者が生産者、販売者などのビジネスをする人、受け手を消費者だとした場合に、最後通牒ゲームから次のように考えられます。
繰り返しがある場合のビジネス、いわゆるリピーター、常連客というものが発生するビジネスの場合はどちらも自分の利得を増やそうとするインセンティブが小さくなります。
消費者は、自分が不公平に扱われていると感じた場合、その取引について悪感情が発生します。次に同じ相手と取引をするときにはしっぺ返しも考えるでしょう。しかし、自分が思っているより大事にされている(利得が多いと感じる)場合には、「強欲だ」と思われたくないので配分者に対して次の取引でフェアになるようにお返しをするでしょう。お互いに利得が多いほうが良いのですが、繰り返しがある場合には自分の利得を増やすことがお互いの関係を良くしないと考えられますから、利得を法外に増やす(ぼったくる)ことはしないほうが良さそうです。
繰り返しが無いビジネス、いわゆる一見さんとの取り引きというような場合は、自分の利得を最大化しようとするインセンティブが大きくなります。強欲だと思われてもしっぺ返しが無いからです。
このような心理をうまく使うと、リピーターを増やすことができるかも知れません。「リピ」は消費者が感じる利得の多寡が影響すると言っていいでしょう。
コメント